2004年12月25日

うた∽かた 詩片 第12話(最終回)「欠片の詩歌」其の弐(うたかた総括?)書き掛け…

 其の壱をお読み頂いてからでないと、話が繋がりませんので出来ましたら少なくとも一度はお読み頂けると幸いです、私的な考察でありますので、その辺りもご注意下さいませ。

 更なる注意事項としましては、様々な宗教や思想から類推している部分がございますので、文中でそれらの用語や意味を検索して下さい旨を書いてある場合があります。結果、各種検索エンジンを使いネット上にある情報を皆様で取捨選択して頂く訳ですが、あくまで知識としてご利用して頂きたく存じます。学問として研鑽する分には楽しい事柄ではありましょうが、実際に対象にのめり込まれますと大変な事になる場合もございますので(^^;) 以上、縁無き衆生(神や仏に縁もゆかりも無いぱんぴ〜)からのお断りでした。


 ★何故『試し』は行われ、ああも残酷で一方的なのか。そして鏡のジンは?★

 結論から言いますと行う側からすれば「試し」をする意味はあるのです。全く内面的な人間の成長、大人になる為の通過儀礼の極端なものにしか見えない「試し」ですが、謎の声沙耶との会話からも行い続けねばならない意味が明確にあるのは確かです。そしてそれは単純な、たまたま選ばれた個々の少女や少年が大人になる為の「試し」ではありえないと私は考えます。

 一夏が生まれる前の話に戻ってみましょう。一夏の両親である理人泉水は子供が欲しかったもののどうも不妊に悩んでいた模様。そんな時に二人で同じ夢を見る事になります(※注:夢での啓示)夢の中で少女は後姿のまま二人に約束をさせます(契約)少女が海の上にいたのは生命の源である‘海’を象徴しての事でしょうか? 若い夫婦は答えた事により契約を結ぶ事になったと判断します。

 この時点で夢の少女舞夏ではありません。これから生まれてくる少女の鏡写しの存在になるべく沙耶から別れた鏡のジンの欠片、素体と思われます。

 そして以上のような事を互いに話、母親にも相談し、最終的におそらくは神頼みであったのでしょうか、本編で墓参りに向かった橘家の菩提寺? で子宝のご利益があるかまでは分りませんでしたが、願う事になったようです。

 結果、一夏を授かる事になるのですが、その後の夫妻の行動からも不妊治療を行っても子宝恵まれずにかなり追い込まれており、その分授かった命に感謝し、不思議な夢に対し説明は出来ないなりに約束を忘れる事はなかったのでしょう。これにより、舞夏の出現後に確かに彼女を受け入れ見守る事になります。


 ★一夏の誕生と舞夏との出会いまで★

 一夏という名は、仕掛けたものが名付けさせたのでは無く両親や祖母側が自然に付けたと判断します。その名前を受けて沙耶が用意したのが舞夏であろうと。意味合いは過去記事を参照して下さい(進んだメタファー考察は機会があれば)

 鏡のジンの欠片である少女は、ず〜っと一夏を映し続けその試しの時が来るのを待ち続けたと思われます。鏡映しでありますが、本来一夏の表面上の複製になるかというとそうではなく、不思議と本来は一夏が心の奥底に眠らせていたり隠していたりした部分を持っています。正確にはその部分を反映したのではなく、人間として生きていくには己を殺す部分も出てきたり、上手く現せない部分を隠す必要が無い点が目立った為に、一見裏表のような印象を持つ事になるのでしょうが、大元の部分からかなりよく映していたのでしょう、実際は。

 タイトルにある(相似)が意味する事の一端はこの辺りにもありそうです(これまた機会があれば別考察で)

 一度、話を物語の最終盤にとばします。

 11のジンを開放し、その力により世界を観る人を視る事になり、更に七つの美徳とその裏返しである七つの大罪を体に刻み込んでしまった一夏。彼女に待つ最期の試しは過酷なものでした。過去に誓唯が磔になっていた事からも同じ事に… と危惧していましたが、容赦がなかったですね実際。

 これ以降の謎は明かされない事が多くて混乱する事この上ないのですが、誓唯の磔を見た時に、何?キリストと同じ事しようとしてるのか?? と思った事柄を反映して続けます。

 一夏は表面上、醜い人間達を滅ぼすのか、それとも自分自身を滅するのかを問われたように見えます。一夏の答えは沙耶からするとルール違反でしたが、何故か謎の声からは模範解答と言われます。しかもその前の会話からすると望むような結果が出なかったのに模範解答とはこれ如何に?

 私はこの試しには答えが必ずある前提から以下の考察を提示いたします。

 『一夏の答えは、人間として人としては模範的な回答であった』

 『しかし、ジン(神精霊)が望む答えは、人として‘死’にそこから別の存在へと進化して欲しかった』
 だからこそ模範解答であったが、ルールの先にある目指す答えではなかった、と。

 この二点から「人としての死、そして復活」というちょっとキリスト教的モチーフから検証してみましょう。

 手に楔を打ち込まれ磔にされるのは非常に普遍的な姿ですね。長くなるので簡単にすますと、その姿は十字架であり、鏡が映すのはトリノの聖骸布的なもの。沙耶の鎌はロンギヌスの槍であり、血を吸う姿は聖杯に注がれる血そのものでしょう。

 そして望まれたであろう人としての一夏の死。その先には復活があった筈です。

 沙耶の字には宗教的な意味合いが込められていると思いますが、時間が無いので各自で調べてみて下さい。トリノの聖骸布に関しても立体フォログラファーだ、作り方に鏡像をどう利用したの?原始的な写真なの? 鎌がシンボライズするもの。そういえば次の少女はフランスの子供みたいだけど、キリスト教カタリ派が聖杯を持っていた説、十字軍に滅ぼされた史実。テンプル騎士団が実は聖杯を持っていたんだよ説、偶像崇拝の嫌疑で滅ぼされた史実。そういやバフォメットに鎌ね…… ああナチスの親衛隊が南フランスのカタリ派の修道院跡なんかに聖杯探しいったのは有名な話でしょうか。カタリ派もテンプル騎士団もフランスだぁね。

 はい、興味が湧きましたら検索してみましょう♪(逃げます、無理、時間無い…)

 話を戻します。

 沙耶は人を映す事で現在の存在に云々は前回の記事を参照で。
 他のジンも自然存在であったりはしますが、人間のイメージや思いが伝えられ投影されるうちにあのような形で存在する事になったと私は考えます。

 人が何かを願う力や思いはそれほどまでに強いのに、人が人からジンになった形跡が作品中では特に痕跡は無いように思えます(謎の声は情報不足過ぎます)人を映す鏡でさえ、ジンになり人を映しあれほどの力を持つ存在になっているのにどういうことでしょうか?

 冥のジンの回で、人や生き物の愛や思いはそれが霊魂であるのか残留思念であったかは別にして確かに表現されていました。でも、人が人を超えたものになったケースってあるのでしょうか?

 キリストや釈迦にしても生まれる前に啓示があったり、様々な苦行や難を受けたりしていますが…… あまり言及すると波紋が大きくなるので〜省略〜

 さて、自分の死だけを望み、そこからジンになるという道筋はありでしょうが。もう一方、他の人間を全て殺し、彼らを纏めて別の存在に昇華させる道筋の可能性は? どうも試しの求める答えは、あまり考えたくないですがどこか黙示録、最後の審判であったり、末法、弥勒菩薩による救済とか宗教っぽいのです。

 終末思想なのかどうかは分りませんが、少なくとも一人、または全体を現在生命体としての進化を止めてしまっているDNA生命体である人類を、意思を持った別の思念体、もしかすると生命の定義からは外れるけど生命体として進化を望んでいたのでしょうか?

 さ〜てここから、仏教的要素からアプローチして行きますか(爆)
 せっかく鎌倉が舞台なのですから鎌倉仏教の特徴との比較、九識論で言えば八識までは行ってる? 予告のインド方面も何とかしないと… 三界とか六道とか、謎の声にも迫れるかな?

 どうして嘘や隠し事をしてまで試したのか? ルールで縛っているのに、そもそも何時の間に了解も無く巻き込むことに……

  ジン  とジンジンジングルベルは… 結構本気で考えてみます?

 体力切れに付き、一端撤退。意味不明ですみません、分らない単語等は調べてみてくださいね。(推敲前に付きご容赦!!)

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posted by みやびあきら at 21:04| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 放送終了アニメ感想〜2004冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 此方は、正直チンプンカンプンです。
 キリスト教的考察のアプローチは、私も試みようとしたんですが、知識が追いつかず挫折しました。そのあたりも含め、こちらの考察に期待中です。

 沙耶さんの名前。耶の字が耶蘇の耶だったとは、ここを読むまで気付きませんでした。そうすると沙の字の謎解きは、仏教から(沙門の沙?)でしょうか。

>フランスの子供みたいだけど、キリスト教カタリ派が聖杯を持っていた説、十字軍に滅ぼされた史実。(略)カタリ派もテンプル騎士団もフランスだぁね。

 ここら辺の事項は、例の「ダヴィンチ・コード」が、かなり分かり易く解説してくれてますね。
かなりヒットした本ですし、時期的にも重なりますので、「うたかた」の方にも、影響が入ったのかな?と思います。
Posted by 読一 at 2004年12月26日 14:53
 追記で失礼します。
 「ルール違反」という言葉が、沙耶の口から何度も語られてます。
しかし、このルールが、どんなものか一切不明なのが、混乱の最大原因です。
ルール=宗教教義・教範なのか?とも思いますが
、余りに漠然としすぎです。
Posted by 読一 at 2004年12月26日 15:12
ちなみに仏教で言う九識の第八識に阿頼‘耶’識というのもございます。
沙はですね、色々悩んでいます。ありすぎるんですけどやっぱりインドまで遡るべきかと沙門もありだと思います。

あまり宗教と結びつけるのはどうかとも自分では思うのですが、そこは日本人ですからちゃんぽんでも抵抗が少ないと言いましょうか(^^;)
「ダヴィンチ・コード」もあるかも知れませんねぇ、もしかすると。

「ルール違反」に関しては、私も大混乱を招いたと感じています。
あまりに漠然としている台詞(設定)の割に重要でしたので不満点が多いです。

自然界にルールがあるとしても、それは人がそう認識したからルールと感じるだけですし……
勿論、野生生物の縄張りその他。決まりごとが存在するのは理解できるのですが…

最終回はまだ1回しか見てないんですよね(爆)
どうにも見るのが辛くて… 考察をする為には最初から見返した方が良いとは考えても、嫌がる自分が存在するのです。
だってストレスの溜まるアニメであったと、やっぱり体も心も感じている… みたいな?

苦痛や不快感を克服するために紐解きまくっているのが、現在の私の姿なのかも知れません。うた∽かたは何と難敵だ!!
Posted by みやびあきら at 2004年12月27日 12:32
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