2006年04月03日

交響詩篇エウレカセブン 第49話「シャウト・トゥ・ザ・トップ」最終話「星に願いを」

 一年間見続けましたよ。

今日の俺は「リリカル・トカレフ・キルゼムオール!」

「完結目前!エウレカセブン緊急ナビ!!」も見ましたよ、一応。
個人的に気がかりだったアネモネは先週の第48話「バレエ・メカニック」で救われましたので、もうあそこで大抵の事は完結してしまったんですよね。なので最終回1時間スペシャルに関しては、ゆるりと受け止めてみようと望んだんですが、第49話、第50話(最終回)と先に見ていた妹が「もう見たことあるようなシーンばかり」「同じこと何度も繰り返している」と大変に不満を述べておりまして。じゃあ見るかと見始めましたら…… 確かにそうだわこれ。

過去に既に作られたアニメなどで見た事があるシチュエーションやアクションシーン。確かに良く動いてはいても後発なり真似をしたなり影響を受けたにしても、エウレカセブンならではのものを見せないと乗り切れないのも道理。しかも過去作品よりも熱くない、燃えないとくれば逆に冷めてしまいますよ。知らない人にはかなり良かったかも知れませんが、なんでここまで似ているところだらけなのかと正直言って「何故? どうして?」と質問したいですよ。

説明されないよりも説明してもらった方が良いのですが、唐突過ぎる事が多かった。
結局、デューイが自殺するのに一人じゃ寂しいからら単に規模のでかい無理心中だったのかよ。えらそうに地球をこれで再生させる、最初からやり直させると言ってはいても、所詮は無理心中。

スカブコーラルに関しても、みんな飲み込んでしまって。人類も逃げ出しちゃって孤独になって寂しかった。帰って来てくれて嬉しかったんで、何とか一緒にいられるように、対話が出来て孤独から開放されるのであれば頑張ります。と、自己中心主義のまま人類と対話をしようとしていたツケが回ってきたんですが…… 最後まで一人は嫌! だったのね。

レントンも何度落ち込んで何度立ち上がってとかを繰り返したのかと思いますが、レントン以外もそうだったの特別躁鬱の繰り返しってことでもなく普通だったのだろうこの世界では。

絶望病の人々が目覚めるも、デューイの無理心中に対してスカブコーラルも人類の半分を無理心中に巻き込んだように感じた。あの夫婦が住んでいる辺境の地にまでデブリが直撃したところを見ると、絶望病の人がいたところを狙って落としたってことですね。つまり既に心がコーラリアンと溶け合って融合していた人々。寂しかったスカブコーラルの自分達と一緒に居てくれて、これからもずっと一緒に居くれる人たちなら安心して殺しても構わないってとこでしょうか。更に絶望病の人たちも一緒に居たい人たちを巻き込んで心中……

どんな補完をしてくれているのか知りませんが、そんなに分かり合えないことが、コミュニケーションを取れないことが怖かったのね。だからアニメ本編でもその繰り返し描写を見せ続けていたわけで。絶対の自信を持って分り合いきっているビームス夫妻のような見事な存在は目の毒で、子供が生めないようにしたりと妨害してはみたものの、全く揺るがない関係。あれこそが理想だったんだけど、それじゃ物語の答えになっちゃうんでさっさと処分してしまったのかもね、作劇的に。

宗教・思想が違うから分かり合えないと決め込んで一方的に虐殺したり。若者文化としてリフを始めとするスポーツ・ファッションを蔑視して拒絶したり。佐藤大さんに言わせればテーマは愛だったようですが、愛というのが究極のコミュニケーションとするならばそれも分るか。愛さえあれば全ての困難を乗り越えて分かり合える。ヒッピー文化でピースマークで平和をってことに対する、究極の分り合いである、愛でハートマークで、世界は救われるのであろう。

音楽的な面から分りやすく言えばジョン・レノンとオノ・ヨーコってとこでしょうか。イマジンだったのかな? アニメにおいてきっとそんな事を訴えかけたかったんじゃないのかな? うーむ極めて思想的なアニメーションだったってのはプロデューサー的に予想できたんだけどね。ここまでそうだったてのは最終回まで見続けて痛感した次第でありますよ。

アドロック・サーストンもエウレカとの関係に感してこれ以上は自分では出来ないとあっちの世界に行っちゃって。ダイアン・サーストンも現実の人間社会でのコミュニケーション失敗して行ってしまって。でもレントンエウレカチャールズレイのようにどんな困難でも二人の愛で乗り越えようと、家族の愛で乗り越えようといった道を選んだと。

ああ何を書いているんだろうですが、アニメ界において富野監督作品である『機動戦士ガンダム』から始まるニュータイプ論。人は分かり合える、精神(心)で共感できるみたいな辺りから一気に加速し始め『伝説巨神イデオン』でイデの力をまざまざと見せ付けつつ、やり直そうとして、でも失敗したんでまたやり直すために発動して『聖戦士ダンバイン』でもオーラ力で、導きでメッセージを発し続け。再びガンダムに戻ってもやっぱり人同士は分かり合えないのか、でも人の力は……

宮崎監督作品でも『風の谷のナウシカ』で腐海や蟲たちの言葉とか意思とか。共生の道を探ったりだなんだ(原作はまた道が違うんですけどね) 押井監督作品になると屈折度が増すんですが(^^;) 犬と分かり合って救われている押井作品はまたコミュニケーションの取り方が大変にややこしいんですが……

庵野監督作品でも『不思議の海のナディア』があっての『新世紀エヴァンゲリオン』での人類補完計画。一つになりましょう、キモチイイ。中ニ病だったり、とにかくコミュニケーション不全の人たちがぎょーさん登場しての悲惨な結末。

違う存在同士が全く同感ってことはあり得ない話なので、究極的にどこまで共感、共に感じることがコミュニケーションの究極なのかも知れませんがが……

時間不足で纏めきれないダメ管理人ですが、エウレカセブンのスタッフはきっちりと答えを出してくれたと思うんですよ。
最後に指し示された二つの道。世界の半分はスカブコーラルと一つになって、共通の意思を持つことが出来、違う存在と分かり合えない恐怖も無く、また複数の意思を持った単一個体になってしまったことでの精神的孤独感からも開放されて。とにかく一つに中に多を取り込んでの絶対的な安心感、裏切られることもない精神の安寧、云々。

それに対してエウレカレントンモーリスメーテルリンクも入れて家族になって、更にひいおじいちゃんも含めての大家族。アネモネドミニクのカップル。ユルゲンス艦長もアゲハ隊の子供を引き取ろうと……

彼らは逃げなかった人たちだと私は考えています。
分かり合えない事だってあるだろう、ケンカをしたりすることもあるだろう。それでも人を信じることをやめない、あきらめない。半分だって、もっと少ししか分らないかも知れないけど。そんなのは勝手に持っているだけ本当に分かり合ってなんていないと言われようが、それでも愛はあると、愛は存在するのだから、共に生きていくんだと。一つになってしまった人たちからすればとんでもなく困難な道を選んだ訳ですよね。

ED後のラストカットで描かれた幸せなサーストン一家。コミュニケーションって難しく考えればとんでもなく難しいけれど、もっと普通に愛情でいけるものなんだし、みたいな。あまりに分ってもらいたいとか、分かり合いたいとか煮詰まるんじゃなくて生きていけるし、生きていけるよって感じでまとめておこうかな。

壮大なコミュニケーション論追及ドラマだったってことでよかですか? 最終回を見ての結論的に!? 難しく考えんなよ!ってチャールズあたりは言いそうですけど。

ねだるな。勝ち取れ。さすれば与えられん
交響詩篇 エウレカセブン
交響詩篇 エウレカセブン(MBS)
TBS | 「交響詩篇エウレカセブン」 (Eureka seveN Psalms of Planets) #エウレカセブン_49 #エウレカセブン_50

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posted by みやびあきら at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 放送終了アニメ感想〜2006春頃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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