2004年06月18日

恋風 第12話(第13話)最終回「陽炎」

まだこれから録画した物を見られる方も多いでしょうから、ネタバレ等にはご注意下さいませ。
でも今はまだ感想として書き切れていないかなぁ〜と(^^;

そもそもサブタイトルの「陽炎」が耕四郎と七夏の関係が如何にはかないものかを表わしています。

まさに陽炎の二人です。

母の元へ向かったのは、暗に最後に二人で母へ別れを告げに行ったようですね。
別れる時に頭を一緒に下げる二人が印象的でした。

心中を言い出したのはきっと耕四郎だろう「死のうか…」とか全く考え無しで言いそうです。
お兄ちゃんの考えに合わせるようでさり気無く主導権を握っている七夏。
やはり覚悟が出来ていたのは七夏ほうだったのか… 耕四郎は流されるまま関係を持ち、思いついたまま心中を言い出したのだろう…

でも生きている二人。
どうやら半同棲生活を送っていたようだ。茶碗も箸も、全て二人分だ。

会社を辞めてしまう耕四郎。千鳥要は思いやりのある大人の女性だ。あんな耕四郎でも。いやだからこそか、見捨てられないんだね。
そして安西双葉。そうだよね、怖いよね。察しの良い娘さんだ、優しい娘さんだ。
深入りする事無く、普通に幸せになってね。ビバ!眼鏡っ娘ツインテール!!

閉園が決まった思い出の遊園地。桜並木も全部切られてしまう計画。
今までにも暗喩があちこちにありましたが、ここからは我々視聴者に委ねられた「私達の思う結末」への道筋が示されます。

閉園案内に気付く事無く遊園地に入る七夏と耕四郎(暗喩考え中)

泥に足を取られ転んだ七夏は両親や耕四郎によって人生躓いてしまった七夏なのか?
それを見てるだけで助けようともしない(普通反射的に体が助けに動くだろう?)耕四郎は、自分から何もしない耕四郎を再認識させた。

泥により汚れた七夏。
この泥で汚れてしまっても、笑顔で泥遊びを始める二人。冷たい眼で見る周囲の人々(大人も子供もである)
汚れてもキレイなままの七夏可愛い七夏

もう言うまでも無いシーンですね。暗喩だらけです。

閉園時間を過ぎても中で隠れて夜の誰もいない遊園地で遊ぶ二人。
二人が世間とは違う時間、違う世界に入ってしまったことを指すのか。
動かなくても楽しい。七夏はそう考えている。

観覧車、念じればなんでも叶うのか? 風か何かで少し動いた観覧車。
そう彼等がどんなに二人の関係の事を強く念じても動かせるのはあれくらいなのであろう。

翌朝、堂々と開園直後の正門から出ていく二人。目撃した着ぐるみは彼等が再び現実世界に戻ってきた事を象徴していたようだ。
(もし誰もいないところから出てきたのでは二人だけの世界が続いているように見えてしまうと思いました)

桜の木の幹に相合傘で二人の苗字を刻む。

来年もまたここに来る事を約束しようとする七夏。深い考えも無く答える耕四郎。

勿論来年には遊園地も桜並木も無くなっているはずです。

シャワーを浴びてから帰ればと言う耕四郎は何も分かってはいない。
七夏が汚れたままで良いと言っている意味に気付かない。

七夏は二人の想いが同じでそれが確認出来ただけで満足なのだろう。
そしてそれが変わっていない事を一年に一度で良いから確認出来れば充分過ぎるのだ。

なのに耕四郎は性欲が強すぎる。本当に七夏の事などを考えてはいない。
ただ好きだ好きだと自分の思いを相手に一方的にぶつける事しか出来ない子供だ。

七夏は女になってしまった。もう少女ではないのだ。彼女は大人になってしまい耕四郎のように単純に欲望で動かされる事から解放されつつある。

この二人は死ぬまで恋をし続けるだろう。でもそれは耕四郎が考えているような関係では続かない。
七夏は七夏で未来が見えている訳ではない。

まさに「陽炎

二人の恋は確かにそこにあった。しかし陽炎の如く儚く……

さぁ、これから先は見たあなたが判断して下さい。私は少なくとも今は書きません。
今後も書かない気がします。逃げた訳じゃありません、二人の物語は終わっていないので自由に想像しているだけですから(^^;

「恋風」 〜 公式ホームページ〜音が出ますので
http://www.geneon-ent.co.jp/rondorobe/anime/koikaze/index2.html こちらで。

参考までに恋風関係過去ログはコチラです(多少ハズレ記事もありますが、自分で読み直しても最初の頃は熱かったなぁ〜 ^^;)

Doblog - 藤井イサナのblog -さまよりトラックバックを頂戴致しました(ありがとうございます)ので送信用の概要と共に少し追記です。
概要
賛否が分かれる「恋風」の最終回。ただ忘れてはならないのは受け手の自由、作り手の自由であろう。

この辺りも含めて別記事になりますが、何とか書いてみようと思います。
恥ずかしながらも挑戦です。
posted by みやびあきら at 04:21| 東京 🌁| Comment(17) | TrackBack(1) | 放送終了アニメ感想〜2004夏頃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kubi.htm
最終回を見てちょっと↑この殺人事件を思い浮かべてしまった(汗 まあ、多少は希望も見せてくれたんで、七夏は幸せになれると信じたいです^^;
Posted by とらp at 2004年06月18日 23:25
とらpさん。コメント有難うございます。

該当ページの記事も読んできました。

近親相姦での殺人事件はちょっと思い出せないのですが。
恋風の第1話の感想で書いた「北原綴 著『美少女綺譚』(美少女奇譚)」でも結局殺人へと進んでしまいます。

七夏が幸せになれるかは、やはり耕四郎がこの後どうするのかに掛かっています。
性欲に溺れるようであれば悲劇が待っていると思いますし。
しかし七夏が主導権を握り事態をコントロールしていく事が出来れば…
ハッピーエンドは無いでしょうがノーマルエンドくらいは迎えてくれそうです。

でもでも七夏には幸せになって貰いたいですよね。
Posted by みやびあきら at 2004年06月18日 23:54
はじめまして。
恋風の最終回、みんなどう思っているのだろうと思ってちょっとネットを徘徊してみたら、暗喩の部分について触れてる人を見かけなくて焦ったんですが、いて良かったです。
遊園地の閉園には父親が関わっているのもポイントですよね。
七夏はストーリーの都合上か、途中から自分の意思がなくなって耕四郎に都合のいいように動くのが気になりました。
最後、風のように恋は去ったと言うことでしょうか。
漫画はどうするんでしょうね。
Posted by 藤井イサナ at 2004年06月19日 10:13
藤井イサナさん。こちらこそ初めまして(^^
コメント有難うございます。

そうですね、父親が仕事ですから感傷に浸ることも無く。
ただ淡々と遊園地と桜並木を潰し、新たなショッピングモールを作る計画に関わっている……

この意味をどうとるかはまだ私なりの答えが纏まっていません。

七夏の意志や思いに関してはこれまた悩んでいます。

最後の風は恋風の風の部分に通じている可能性がありますね。
原作は読んだ事が無いのですが、今買って読んでよいものなのかも思案中。

漫画は原作者の回答がどう出されるかを待ってからにするかも知れません。読むとすれば。

また少し記事を書こうと考えております。一応アニメ版の総括をしたいと思ったのですが、取りあえず最終回辺りでの考察になりそうです。

以上、「恋風」のアニメを見る事が出来て良かったと思っている管理人でした。
Posted by みやびあきら at 2004年06月19日 17:34
最終回七夏と耕四郎は一応二人の気持ち(想い)に決着をつけたわけです。そうなると現実世界での試練が待っていることになるワケです。それの暗喩がタップリと込められた最終回。思い出の場所は父親の手でなくなり、汚れてハシャぐ二人を周囲の人々は怪訝な顔で見る。観覧車はピクリとだけ動き、二人の名前を刻んだ桜は又来ようと誓った来年には無くなっている。最早救いは無い!一切の救済は用意されていないとさえ思える。でも、二人はお互いを「好きだ」と言えるようになった。世間から認められない関係になるというハンデを背負うことによってだ。要は、二人っきりの世界でだけなら幸せになったのだからそれでいいのではないかと。そう、二人の関係を認めないのは劇中の周囲の人々だけでなく視聴者の自分達もそうなのだから。そういう意味で、本来は無責任で傍観者であるべき視聴者の自分も「世間の常識」という価値基準で二人の関係を見ることしかできない。っというわけです。「恋風」を
見ていた視聴者が最後は感情移入すら出来ない(し難い)
世界にいったのだから二人が幸せになったのか?ハッピーエンドなのか?バットエンドなのかは七夏と耕四郎の当事者である二人にしかきっと分からないでしょうね。

長くてすみませんでした。
Posted by イタチねこ at 2004年07月15日 22:07
書き忘れだ!

そうだ!双葉と千鳥の二人。こいつ等の存在によって二人は後戻りは出来ないのだ。二人の「関係」を「無かったこと」にも出来ないというところに行かせたわけですよ。職を捨て友人を捨て、それでも現実には「世間」から完全に逃げ出すことが出来ない二人。そういうことで二人はずっとあのままでいるしかないのです。七夏に反論した「永遠に続く恋」になったワケですよ。まあ「永遠に逃げ出せない恋」とも言えますが。とりあえず、自分はスタッフが逃げることなく書ききったあの12話ってかなり好きです。
「どうや!(みゆき)みたいに逃げ場がない「兄妹」の恋愛ってやっぱり本当は地獄なんやで!」そう言われた気分です。(笑)
Posted by イタチねこ at 2004年07月15日 22:22
11話と12話をヘッドフォンで聞いて見てください。
11話の耕四郎はオンマイク(マイクに近過ぎの音)12話では二人っきりの場面ではショートリバーブ(閉鎖的な空間で響くエコー音)になっています。どういう効果があるかは音響に詳しい人に聞くと良いでしょう。とにかく、スタッフ(演出家)はホンマ確信犯でっせ!
Posted by イタチねこ!たびたびすみません! at 2004年07月15日 22:27
イタチねこ!さんコメントありがとうございます。

そうですね。私とはちょっと受け止め方に違いがあるように思えますが。
だからこそ面白いと思います。人それぞれにそれぞれの「恋風」が吹いて…

まだ二人に残された時間。これからの時間のほうが長いのですから、色んな事が待ち受けているはずです。
彼等の人生で、近いところでは日陰であっても陽の当たる場所を歩く事も出きる時期もあるでしょうし。

我々が彼らのことを不幸と感じても彼らは幸せかもしれないですし、逆も然り。
彼らが幸、不幸と感じている事すらも一時的な見方であって未来永劫において確定した物でもない。

私は愛に永遠は無いと思ってます。
けれど向こう50年。頑張って100年。更に奮闘すれば1000年とか残る愛はあると信じています。

なので逃げ出せないとか続くとか、その時点ではそう感じても。
今において大切な事を未来においても大切に出来るかは多くのものを積み重ねていって。
ふと、ある時に気付いたり感じられれば良いかな、と。

物語は終わっても終わっていないのですよね、本当に。

ただ双葉と千鳥は必要な存在だと思います。彼女達が居なければ成り立たない様々な事象を否定する事は無いと思います。
確信犯についても犯罪をしている訳ではないので、スタッフが信じる確かな願いと思いを込めたもの。
きっと視聴者の事を信じてくれた事が、最後に繋がっていったのだと私は感じています。

音響監督を始めとする音響関係のスタッフが色々と丁寧な演出を心掛けているとは感じています。
具体的な知識は私にはありませんので何をどう狙って事かは分かりかねますが。

件のシーンがショートリバーブであったかは記憶しておりませんの安易な事は申せませんが。
その空間から発せられる音に我々の無意識下に働きかける意図があったのかも知れませんね。
一つのシーン、現象を暗示させる為に……

いやぁ、こういったコメントを頂けるとやはり嬉しいですね。
みんなそれぞれに色んな感じ方をされていてる事が再確認出来て最高です♪

今回は再度「恋風」の風を吹かせて頂いてありがとうございました。
Posted by みやびあきら at 2004年07月16日 02:25
さて、
千鳥と双葉は必要ですよね。自分は二人の存在を否定してません。ただ、図らずも二人の存在が兄妹にとってのある意味での「救い」であったのが物語が進むうちに次第に二人が戻れなくなった「世間」の象徴になってしまったのではないのかと思います。

さて、エコーの件ですが。
11話、二人が結ばれる直前。劇中での耕四郎の台詞と内面の台詞(心の声かな?)がエコーで区別されていました。七夏に「兄妹で好きになってはいけないの?」と言われた耕四郎は「心の中」で「いいかげんに理解しろ」みたいな台詞を言います。こう言った心理(内面の台詞)は全てオンマイクで収録されています。そして、「お前だけがいればいい」と耕四郎が告白する台詞もオンマイクです。

つまり、結ばれる直前になって「会話の台詞」は空間が感じられる少しマイクから離れた音なのに対して耕四郎の「内面の台詞」は全てオンマイクだったのが次第に耕四郎の台詞(内面の台詞も七夏との会話も)が全てオンマイクの音になっていった。っということです。音響演出的に言えば耕四郎の「内面の台詞」と「外面の会話」の心理状況が次第に一致していった。ということになります。音響監督がかなり丁寧に心理描写を演出したということです。

12話のショートリバーブは狭い空間に閉じ込められた閉鎖感を出す時に使うもの。追い込められた雰囲気を出す時にも使われることがあります。ゴンドラのシーンの後、遊園地を出た二人の会話に開放感(音響的)があるのはそういうことなんですよ。

恋風のページを色々ネットサーフィンしてみましたが踏み込んだページが少なかったのでついつい書き込んでしまいました。ホント長くてすみませんでした。それでは。
Posted by イタチねこ at 2004年07月16日 19:01
「確信犯」について

ハッピーエンドかバッドエンドか分かり難いエンディングを音響的には「開放感」溢れる音にしたのは映画「THX1138」のエンディングに似た効果があるワケです。音響演出的には「確信犯」的にハッピーエンドにしてありますね。「こういった効果を狙ってるんだぜ!」っということでの「確信犯」です。

永遠の愛について

これは自分もないと思います。っが七夏は「永遠に続く愛」と言っていました。(恋かな?)この「続く」という部分が肝ですね。「親子の愛情」「兄妹の愛嬢」は何か財産等の問題が起きない限りはづっと続くものです。兄妹でお互いを好きになるということは?っということで「逃げ出せない」と例えました。もちろん、将来二人が分かれることがあるいかもしれません。しかし「二人の関係」は普通の過ちではないので「二人の恋愛」は無かった事にならない、つまり「永遠に続く恋」ということは「永遠に逃げられない恋」つまり「消せない恋」ということでああいった表現になりました。

二人が分かれても二人が兄妹である限り、つまり永久に「兄妹の愛嬢(または兄妹の関係)」は続くのですし。

ラスト、七夏が汚れたままで帰るシーン。世間から見れば許されない関係になった汚れた二人。「汚れたままでいい」と言ってスキップするように帰る七夏は幸せそうだ。そして、そんな汚れたまま(世間的にも)歩いて帰る七夏を「好きだ」と言って見送る耕四郎。「心中するの?」だの「どうしたらいいかわかんねえ」と必死で悩んでいた二人。ゴンドラの中で「何やってんだろう?俺達」と言っていた耕四郎。しかし「汚れたままでいい」と歩く七夏を「好きだ」という耕四郎。二人の結論があのラストシーンに全て入っている。(音響演出的にも。笑)
Posted by イタチねこ at 2004年07月16日 19:32
すみません。今、時間が取れないのでお返事はもう暫くお待ち下さいませ。
興味深いご意見ありがとうございす。
Posted by みやびあきら at 2004年07月16日 19:53
再度のコメントも考えさせられますね。
双葉と千鳥は視聴者にとっての助け手であったかも知れません。
ただし、七夏と耕四郎はその手を最終的に取らなかったのですが…

それから世間にしてはやはり優し過ぎると思いますよ。敢えて言うのならば世知辛い世の中では稀な他人事ではないと考えてくれたお人よしさん。かも(酷い言い方ですが、優しい世間さま)

耕四郎の内と外の描写に関する音響からの考察は私としては初めて接する貴重なご意見です。
私としては、単純に今まで抑えていた内なる言葉が抑えきれなくなり、抑えなくなり、外に発現した発現なのかな、と。

なので私は最後の音響演出に関しては、心中を臭わせたり。夜の遊園地で二人だけの時を過ごしたり。
あの夜から完全に、二人の二人だけの世界を中心に生きてきた耕四郎と七夏が。
もういちど世界に出て生きていこうとする(少なくとも七夏は)意味での閉じた世界から開放された意味の演出だと思います。
七夏については吹っ切れたとか、沈んだ耕四郎の気持ちから解放されたと見て良いと思います。

でも耕四郎はまだ捕われている様に私は感じています。最後の「好きだ」のセリフもより己を煉獄に埋没させるかの様に聞こえてしまいました。

やはり、ひとそれぞれ解釈で勉強になりますね。
あと、確信犯についてはやはり誤用の意味合いになってしまっているようですので「確信して狙った」とかで良いと思いますよ。

それではイタチねこさん。お返事が遅れましてすみませんでした。
Posted by みやびあきら at 2004年07月17日 03:13
「千鳥と双葉」

「まさに優しい世間さま」だったワケですね。でも二人が一線を越えた時から耕四郎と七夏に距離を取るようになったので「救い」から「(厳しい現実の)世間」になったと思います。

「七夏の開放」

母親のところに二人で行ったり心中という手段を選択肢のヒトツとして言ってみたり思い出の場所に行き観覧車に乗ったり二人の名前を刻んだりと二人の行動にはなにか「儀式」めいたものを感じます。(二人共無意識に)一線を越えたことにより今後二人で生きていくことへの決意としての「儀式」のような感じですか。そういう意味では七夏の
気持ちは開放されたと思います。耕四郎の場合は世間のしがらみには捕らえられていますが七夏への気持ち(想い)
は屈折することなくストレートに出るようになっているので、世間からは捕らわれていますが「実の妹に恋をした。という後ろめたさ」からは開放されたのではないかと思います。
ただ、そこに到るまでの過程が二人は別々だったと。(笑)七夏は「もうやっちまったことだし仕方ねえよ」という開き直り的な部分が強く、耕四郎は「どうしよう!やっちまったよ!(ビビリ的)」な部分が大きいのかと思います。「開き直り」と「ビビリ」。そういった気持ちの整理をつけるための「儀式」を通過した二人。そして誰もいないはずの遊園地から出てきた。という暗喩部分。解釈は色々とあると思いますが、二人が一線を越えた瞬間からラストまでの気持ち(かな?)の整理をつける道筋は違いましたが辿りついた終着地点は同じなのでは?と思います。

まあ、最終回は暗喩がいっぱいあって解釈もひとそれぞれだと。二人の気持ちも揺れ幅には差があるけどもあっちこっちに行ってまるで嵐の中の小船のようでした。そういう感じからするとラストのあのシーンは自分的には嵐の去った「穏やかな海」のようにも感じましたが。さて、どんなもんなんでしょうね?
Posted by イタチねこ at 2004年07月17日 07:14
おねがいティーチャーではみずほ先生と桂くんは色々あったうえで甘えること無い選択肢(みずほ先生は重罪人、桂くんは「停滞(辛い過去)」からの決別)で「結婚」というカタチをとりましたよね。岡野勇氏のサイトで「結論に到るまでの過程で甘えが無かった」というような感じで「おねティー」を評価していました。  それで「恋風」なんですが本能というか
(恋)というどうにもならない気持ちから「例の結果」があり、そこから幾つかの選択肢らしきものが出てきました。それを踏まえたうえでのラストなので七夏だけではなく耕四郎も一応は開放されたのではないかと。それが分かったので七夏は「開放」されて歩き出したのではないかと思います。この場合、七夏歩き出したのは「ずっと二人でいるから」という結論があるからだと思いますけど。
Posted by イタチねこ at 2004年07月17日 07:28
それでは色々と書き込ませていただきありがとうございました。他の人による評価や最終回の暗喩に対する意見も見たいのでよろしくおねがいします。ってそれをオイラが言ってはいけませんね。(笑)それでは。




ps 11話での七夏の攻撃は反則ですよ。耕四郎に罪は無い。(ほんとダメなヤツだけど)
Posted by イタチねこ at 2004年07月17日 07:33
「恋風」はやはりテレビアニメとしてはエポックメイキングな作品であったのだな、と感じます。

実はアニメが未だ未踏(未登頂)のテーマというのはあるのだと感じます。
Posted by みやびあきら at 2004年07月17日 17:49
エポックと言われて・・・・
ヘッドフォンで聞いてください。そんで距離感を自分なりに計測してね。オンマイクのピークが何処にあるか?分か
れば演出の意図が分かります・ハッピーエンド!だね!

聞きなおした!何度もさ。音響的にはハッピーエンドだよ。
Posted by イタチねこ at 2004年07月20日 00:40
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Tracked: 2004-06-20 00:52