2005年03月30日

『ファンタジックチルドレン』その「水のまどろみ」「魂(命)のまどろみ」(作業中につき未完成。でも公開)

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この音声記事は最後まで聞くと20分以上あるので(爆)お勧めできません、でも→ファンタジックチルドレン_EX.mp3

 時間が掛かってしまいましたが『ファンタジックチルドレン』に思いを馳せて書き始めた記事のうちの一つを取り合えず上げさせて頂きます。本来は「ギリシアから、東南諸島へ……」(仮)という記事と併せてお読み頂こうとしておりましたが、ちょっと間に合いません。一応、本記事内でもその記事内容に関わる部分も入れつつ再構成してみました。今後、追記や修正がされるかも知れない未完成記事ではありますが、お付き合い頂ければ幸いです。

 追記:前記事「ファンタジックチルドレン 第26話(最終回)「終焉 そして始まり」」に頂いたトラックバックとコメントに感謝いたします。そして最初に反応を頂きましたお二人は残念ながら最終回に不満を抱いたり、ちょっと合わなかった点もあったようなのですが。これまた多様な意見でございますね、本当に。この記事ではお二方とは別の見方を提示する部分を本文に若干混ぜて再構成してみました。出来ればプラス、マイナスの印象に関係なくお読み頂ければ、これまた幸いですわーい(嬉しい顔)(酷い記事ですみません、長いんだ読み難いんだ)


 『ファンタジックチルドレン』その「のまどろみ」「(命)のまどろみ」

 「ファンタジックチルドレン」で象徴的に描かれる‘’の存在。物語の最初に描かれた舞台は「東南諸島」であり、海に点在する島々での光景。壮大な物語の発端となった「惑星ギリシア」も多くの水を蓄えたの惑星’であり、ティナの魂が転生しベフォールズが追いかけて来た「地球」もまたの惑星’であります。このアニメではよく‘’が降っています。それは心象風景を描く補助としての意味合いもあるのでしょうが、作品を印象付けるシーンでは晴れた青い空よりも、雨と雨雲が何度も描かれます。とにかく一般的なアニメと比べて‘’が多いと思われます。

 何故でしょうか?

 ‘’もよく描かれます。穏やかな海、嵐の海。雨と併せてこれらに共通する事はやはり‘’であると考えられます。水は我々生命体にとっては必要不可欠なものであり、生命も海から誕生した説がもっとも有力です。そう本作品においては密接に絡み合って提示され続け、そし命にはが必ず存在し、だからこそ‘’が「」と「」を数多くの場所で象徴し続ける事となるのです。

 更に本作の重要なモチーフとしてのの転生。象徴的なの描かれ方。これらは明確な意図を持って密接な関係があるとして描かれ続けていると考えて差し支えないでしょう。では、その意図とは何でしょうか? 以下、幾つか例を挙げつつ振り返ってみましょう。

  第1話でトーマは自分の船で海へ出てコックリ島へ向かいます。そこで小さなボートで島へと逃げてきたヘルガと出くわします。ここでのポイントは「小さな船でを渡り島へと辿り着く」でしょう。

 第2話でベフォールの子供達は暗い地下水道で記憶のクリスタル(水晶)を手に入れます。そこで閻魔の襲撃を受ける時に水かさが増し、水に飲み込まれる描写があります。転生を繰り返し、記憶を保持し続けるベフォールの子供達。彼らに正しい死を与える為に現れる閻魔。水に飲み込まれる幻は、水と死に関するメタファーが読み取れます。

 第3話から第5話にも曇った空(雲は水蒸気ですね)や荒れる海、夜の海が描かれていますが、象徴するものは理解していただけると思います。特にゾーン(死後の世界?)へ一度立ち入った者の姿と水的なモノ。年老い枯れ果てた肌は水(生)が失われているのでしょう。

 第6話では雨の中をトーマとヘルガがチットを探しにいきます。途中ぬかるみに足を取られたり、密林の中で苦労するヘルガ。雨に濡れ、泥に汚れてもチットを探すヘルガが象徴するのは、命をはぐくむ水が優しいだけ、キレイなだけではない事。命に対して厳しくもあり、汚す事もある象徴でしょうか? それでも突き進むヘルガが象徴するものは別の意味合いも感じられます。

 この第6話「コックリ島(2)」で浮かんだ疑問が今回の記事の発端になっています。それは「ぶっ殺し蜂」の存在。トーマの祖父ちゃんも刺されて死んだという猛毒を持った蜂。チットは既に刺されて命の危険にさらされています。しかし、死ぬかもしれない恐怖でチットを助けにいけないトーマ。私は最初に見た時には感じなかった深い意味合いを今は感じる事が出来ます。それはこの作品が水と死を密接な関係で表現し続けているからです。

 何故「ぶっ殺し蜂」は一般的に描かれる蜂の色である、黒や黄色ではなく水色をしていたのか? 奇を衒った? いえ、これはこの蜂が死を呼ぶものだから「ファンタジックチルドレン」における‘’を象徴する意味での水を示す為に‘水色’に態々色指定をして、我々に見せたんだと思います。同時に死を恐れないのではなく、人間の死の概念から逸脱した存在であるヘルガを纏わり付く死から浮いた存在として、雨(死を象徴する水)の中でずぶ濡れになりながらぶっ殺し蜂(死を呼ぶ象徴)の群れの中からチットを救い出させる象徴的な演出を意図していたのではないでしょうか?

 この考え方を持って第1話から見返すと、初見では気が付かなかった事が多く発見されます。では、細かなところは飛ばして、キルヒナーに纏わるエピソードを取り上げてみます。

 老いた肉体は水々しさを失い、しかし彼の中でオエセルは暴走して危険な存在となっています。極論ですがオエセルがその人間自身の魂であるとすれば、肉体という純粋な魂にとっては不純物を取り除きより純粋なものへとなった魂は、人間の体の大半を占める水分をその肉体から取り出し、更に純度を高めた超純水のようなもの? そんな受け止め方をしてみました。水は生命にとって必須なものですが、純度を高めすぎた水は危険なものとなり取り扱いが難しくなります。その強力な酸化力(ここでの超純水は限りなく水分子だけで構成されたものです。又、還元力に関しては触れません)酸素などのガスも溶け込んでおらず、勿論ミネラル分などは含まれていない、間違っても素手で取り扱ったり、飲んだりする事が躊躇われる危険なもの。色々なものが混じっていてこそ我々が通常認識する水であり、この肉体を構成する大切なものという事を憶えておいて下さい。

   ここでのクライマックスは海のど真ん中の船の中。その前にヘルガとチットの乗ったボートは嵐の海で遭難しそうになり実験船に助けられていますが、極めて死が近しいものとして連続して水とともに描かれています。そしてシリーズ中最も閻魔が登場した回でもあるのですが、閻魔は不定形で人の影のように見えもしますが、切られると塩の像? そのような物体と化しますが、これはもしかすると本当に塩などのミネラル分が結晶化したもので、閻魔は「生命のスープ」のようなものであり、これに魂が入り固着すればちゃんと生命体になるような存在に思えます。正確には生命として歩むことが出来なかった存在であり、代わりの役目として命(生命)の循環を保つキーパーなのやも?(この辺は更に考察中)

 ギリシア編を含むヘルガの過去でも、水と死を忘れてはいけません。クリスティーナ編でのアーノンはの中で花を取りに行って死亡。花を取りに行った理由は先生の刺繍糸をより希望の青い色に染める染料を手に入れる為(雨も青も死をイメージさせる水の象徴)セラフィーヌ編でのジムは過去にそのクリステーナが作り、生徒に贈った刺繍が入ったハンカチを手にいれ、それを兎に角セラフィーヌに届ける為に嵐の海で死亡(これもまた水に深く関係する死)そもそも第16話「回帰、の中へ」で霧は水に関わっています。

 ティナ、ソラン、セスに関係する‘’も多いですが、最も顕著に現れたのが腕が千切れ血を流しながら雨の中を歩むセスの姿でしょう。も勿論ですが、よりを象徴し、それを雨によって洗い流すのではなくより死と魂が穢れていく事を強くイメージさせます(セスの死が近いの明らかでしたが、心が歪み誤った感情を暴走させつつあるセスの魂が、濡らす雨と流した血に反比例するかのように汚れて落ちていくさまは忘れられません)

 ここからは大量の血が明確な死を前面に浮かび上がらせます。セスもソランも血を流して死んでいくのですから、ここは皆様の判断にお任せいたします。

 〜中略〜

 第19話「誓い」のラストにおいてヘルガの髪の毛や瞳の色が変わります。特に瞳が青くなったということは、この瞳がこれから生と死をはっきりと見ることになる象徴でもあったのではないでしょうか? 実はベフォールの子供たちの瞳の色も青ですが、水の青は生と死の青であったのですね最初から。

 第20話「巡る命」はそのサブタイトルをお忘れなく。

 〜中略〜

 保存されたティナの体。保存液は勿論、青く照らし出されるその姿は水と死を強く訴えています。

 〜中略〜

 ゲオルカの宇宙船は海底深くあったのは当然といえば当然なのかも知れませんが、海、洞窟の奥で流れる落ちる水のイメージも……
 〜省略〜

 〜中略〜

 勿論勝手な解釈ではありますが、ヘルガに転生装置を使いゾーンの狭間に行ってしまう一連の流れの中で挿入された波打ち際の砂浜。ベフォールズの元の体を入れたカプセルが比重から考えて、とても海には浮きそうにないのに(保存液の比重が軽いか、どこかに浮きになる部分でも無い限り見た目からは浮きそうに無い) あっさり回収されて(浮いていたとしか思えない、いくらワンダーを使ったとしても)波打ち際に集められている様。これは死や命の循環を示す‘海’に入れない、完全に今の彼らが生命循環のシステムから浮いている事を象徴しているように見えませんか?

 (編集前:25話においてゾーンの狭間について波打ち際のようなカットが挿入されましたが、実際に表現されて狭間はゾーンが海、その向こう側に広がるものであり。こちら側との境がまさに波打ち際、として描かれます。辿り着いたトーマの魂は青い光で覆われていましたが、あれはオエセルの放つ光だったのでしょうか? )

 この世界とゾーンの狭間に波打ち際のイメージを挿入する。地球において生命の誕生や進化に多大な影響をもたらした環境と言われる波打ち際。

 〜中略〜

 『ファンタジックチルドレン』における「魂の輪廻」の考えは地球における「水の循環」に似ていると思うのです。この絶妙に保たれた環境。海があり、そこから水蒸気として雲となり雨や雪として再び降り、地上であれば川となったり、人間に利用されたり。我々の体を形作るものもその大半が水であったり。

 きっと魂と水は似ているものなのでしょう。水は気体・液体・固体と姿を変えます。何よりも水の循環があってこその地球という命に満ちた環境がなりたっています。魂、命もまた姿を変えつつ循環しているのです。「巡る命」とは「巡る水」なのでしょう。

 〜中略〜

 お風呂に入ったとします。その湯船にはられたお湯につかり、お湯を手に掬ってみます。そのお湯はあなたの手に掬われた水と言う意味が与えられた瞬間です。それを湯船に戻してみましょう、それは先ほどまで浴槽一杯のお湯(水)でしたが、そこにあなたが手で掬ったお湯が入った水と言う意味を持たせることが出来るでしょう。

 お風呂のお湯(水)を全部流してしまったらどうでしょうか? 下水に流されて途中経過はともかくとして大半は終末処理場で処理された後に海へと帰ることでしょう。ならばその海を見に行けば、あなたの入った、手に掬った水がほぼ間違いなく存在している海となります。

 魂を水として考えれば、そんなものなのかも知れません。確かに意味を求めることも出来ますが、よほど念入りなマーキングでもしない限り追跡は難しく。でも存在はしているし、もしかしたらあなたに関わった水がまたあなたの元へやって来ている可能性も否定できません。(注:この項目はあまりに抽象的なものとなりますので、このまま未完成で逃げます)

 ※お詫び:時間が無い為にすっ飛ばしまくります、ごめんなさい。

 トーマがセスなどの一連の流れもご理解いただけますよね? 最終回を早く語った方が良いと判断し、以下は進めます。

 第26話「終焉 そして始まり」(とにかく申し訳ない未完成文章)

 命の循環を描き、過去世での罪や約束を現世で背負うかのような描き方もされていますが、宗教的な意味合いが極端に薄かったのが「ファンタジックチルドレン」です。誰も神の名を唱えないし、トーマの実家の寺院や母ちゃんの占いも極端に宗教色が薄いです。これは、一般的な宗教にある原罪や、因縁(宿命)、業(カルマ)では無い「巡る命」の物語を描きたかったんだと思うのです。でも、もしかすると多くの方が宗教観的なものや、既存のイメージに囚われたやもしれませんね。

 私の方が学問として宗教をそこそこ学んでいる身ですから、影響を受けそうなものなのですが、どうにも宗教方面からのアプローチをする気がおきませんでした。だってこれは「愛」の物語であり、それは男女の恋愛以外の友を愛したり、家族兄妹を愛す。そんな広義での「愛」であり、そこに宗教的要素を特別用意する必要が無い、根源的な人間の物語と受け止めていたからでしょうね。(ちなみに鴉の描写はちょっと宗教色を感じました。が、シンボライズ、メタファーとしてはよく理解できました。他の見せ方が出来れば良かったかも? 尚、ヘルガの魂が引き寄せられるかのような描写については考察があります『「ギリシアから、東南諸島へ……」(仮)』で触れたいんですけど……)

 ソランの生まれ変わりのような青年が何の苦労もしないで、最後ヘルガを掻っ攫ったかのような印象を持ったり、トーマはどうなんだ!! と思われた方が多かったんでしょうか? そうですか、それもまたある話ですね。ですが、落ち着いて私の戯言にもう少しお付き合いください。

 もし、ソランの魂を持つ者が今回の一連の事件に深く関わっていたのなら、最後にヘルガと上手くいっても納得出来たのでしょうか? そもそもトーマもその中に隠れていたセスも、ヘルガとの恋愛を発展させようとしていたふしは無かったのではないでしょうか? 長くなるので詳しくは書きませんが。セスがしたかったことは謝りたかった事なのでは? しかし、セス自身がどうしてああなってしまったのか? その根源的な原因となった事が解消されない限り、セスの魂の安寧はなかった筈です。届かなかった言葉を届けたい、またティナの言葉が心が自分に届かなかった、己では意識していなかった数々のもの。それらを解消するにはソランがいては同じことの繰り返しです。何故ならソランがセスよりも前に出、ティナもそれを望むとは言いませんが、受け入れるでしょうから。だからソランが関わってはならなかったのです。何もしていなかったのではなく、ここではセスとトーマの為にこそ、成してはならなかったのですよ。

 ソランは考えてみれば子供の時に戦場に出て父を失い、己の半身を失い。その後の苦労や苦しみも相当なものであったと思われます。それでも人間的魅力(優しさや強さ等々)や徳を持った人間になったのはほぼ間違いないでしょう。セスは残念ながらいい人だったんですけど挫折を知らなかった為に暴走します。ティナが爆弾テロで傷ついた時もソランをいきなり責めます。でも、これって状況的にソランには止める事が出来なかった事態ではあったのですよね。セスも理解はしていても…… そんな描かれ方でした(それでも、ソランは責任を深く感じて後悔しまくってましたよね……)

 少なくともギリシアでのソランの人生はとてつもなく波乱に満ちたものであり、ティナとの事でもっとも苦しんだのはソランであったでしょう。最後には親友のセスに殺されしまう訳ですし…… 地球で転生していた青年がどんな人生を送ってきたかは描かれなかったので妄想するしかないのですが、別に彼が今回の一連の事件に関わらなかったから資格が無い(そもそも何の資格?)とはならない筈です。想像ですが、彼が関わらなかったのはソランがセスの苦悩に気づいた為かもしれませんよね!? 思いを遂げさせる為に一歩引いて待つことが出来る男だと思いますし、ソランは。

 〜中略〜

 10年後。本当に空は晴れて、洗濯日和でございます。真っ白なシーツを干し、子供たちに囲まれるヘルガ先生。この辺りは本当に素晴らしい描き方をしていたのですよ!!(強く言ってみます)

 砂浜を歩く青年。砂浜は白く美しく、また海沿いの木は海からの風の為でしょう、幹が少し陸側に曲がっています。洗濯された真っ白なシーツを干す。ああ、これは肉体と魂を象徴しているのでしょうよ。使っていたら汚れもしますよ、でも洗濯して干して上げればまた気持ち良く子供たちを眠りに誘うベッドのシーツとして活躍してくれるのですよね。勿論、新品になるわけではありませんし、落ちない汚れだってあるかもしれませんよ。でもだからどうだと言うのでしょうか、それでシーツがシーツとしての役目を果たせなくなる訳でもないですし。使えなくなるほどの事態になれば、それは新しいシーツを用意することとなるでしょう。

 魂も汚れたりするでしょう。でも経験や記憶が蓄積された魂であっても、次の人生では新たな積み重ねによって元々はそうであっても完全に同じでは無くなります。ここでお風呂の水に関するお話を思い返してください。そう、身近な循環と大きな循環は繋がっています。そこにどんな意味を求める事だって出来ますが、変わりゆくもの、変わらないもの。生まれ、失うもの。魂も水も考えようなのですよね。まさにあなた次第で自由に受け止めてください。

 〜中略〜

 青年が「水を一杯頂けますか?」と来た時にはしびれが来ました。水と命が密接だと思われる『ファンタジックチルドレン』の最後に来るべきものが来たと感じしびれ捲くりましたよ!!(苦笑) こんな纏まってない記事を最後までお読み頂いた方には、ここで水を求めることのあまりに重大な意味に気づいていただけるのではないでしょうか? そうですよ、そうなんですよ!!

 このコップ一杯の水がどこをどうやって来たのか全てを知る事など出来ません。過去にもしかしたら誰かが飲んだ水が巡り巡ってきた可能性もゼロではありませんが、素性を問う必要などないのです。ここに「水(生・命)」を求めて青年がたまたまやって来たのです。旅をしているかのような風貌の青年。見た目も声もソランを感じさせますが、その青年の求めに応じてヘルガがコップ一杯の水を用意します。ついに我々の目の前で約束が、誓いが果たされるときがやって来たのです。

 とにかく‘死’をイメージする事が多かった水の描写が続いていた分、ここに来て水が象徴する‘生’が引き立つのです。波打ち際も晴れた空も、洗濯を干す光景も、全てが明るく光に満ちています。ヘルガの絵を見て彼女が描いたものだと何となく察する青年(彼の笑顔にときめくのも当然。俺もときめいた!)彼の腕にあった痣こそはソランの誓いの証。彼は魂の記憶に刻んだだけでなく、どんな時も誓いを失わない為に証を具現化させていたのですよ! これの凄さが分かりますでしょうか? 私は興奮の余り大変でございましたよ(^^;)

 文字を読むことが出来たヘルガ。ティナの名の重さ、潤んだヘルガの瞳(これは魂の喜びだと思いますよ、出会えた奇跡に対する魂の震えとも)青年はこの後、ヘルガの用意した水を飲んだことでしょう。これにより、惹かれあった二つの魂の生の交感はなったのです!!


 ハッピーエンドじゃん!!

 まさに「水のまどろみ」「魂のまどろみ」「命のまどろみ」

 まどろみは‘微睡’であり、生きている人間にとっては長い時間であっても「巡る命」「巡る水」にとっては、ちょっとの間眠っていただけ、そうまどろんでいただけの事。それでも生きている人間は様々な経験をし、生まれて死んで。常ならざる人生において夢を見、夢を掴み。また挫折をし、這い上がる、這い上がれない。でも全ては人々にとって意味を求めれば意味をもつものばかりなのです。

 再びめぐり逢った魂も、それぞれ既に今を生きる人の魂です。愛は再びめぐり逢い、新たな愛もまためぐるのです。

#ファンタジックチルドレン
 ごめんなさい、こんな未完成で読み難い記事でごめんなさい。お詫びのしようもございません。無能でごめんなさい。力が及ばずすみません。語りたいことの数%すらも語れない自分は、力量不足です。時間が無いのは仕方が無いとは言え、あまりに見苦しい。

 でも、何だかファンタジックチルドレンの最終回に納得がいかなかった人って多いのかな? とにかく情報を仕入れない形でここまで来たのと、普段回っている感想サイトもほとんど見ずにヒィーヒィー言いながら(言ってませんけど口からは)記事を書いていたのですが。ミオルさんの所ぐらいですか、肯定的なのは!?(と言っても数サイトしか見ていない)

 ええ、俺ってずれてますかね? うちの兄妹は思いっきり納得のいく部分が多かったですし、とにかく元々ソランが好きだし「ソラン来たー!!」「水を一杯所望したー!!」で感動しまくったんですけど、本当に。そりゃデュマについてはですね、姉さんがヘルガが止めたのに、父親を殺しちゃいましたし、一緒の時間を生きていくことが出来ないのは確かです。老いていく姉さんを残して自分がゆっくりと老化し長生きするのも耐えられないでしょうし…… ええ、別記事にしましょう。妹ともデュマに付いては語り合ってますので。

 やっぱりOPのフルバージョンがかかったのは感動的だったけど、個人的な考えとして、詩も曲も最高だけどボーカルが弱すぎましたよね。ああ、前にも言ったけど書いちゃいます、ボーカルが負けてますよ、詩と曲に激しく!! だから感動がちょっと薄くて、私も正直「嗚呼……」な部分がありました。勿体無いと思いましたよ、あくまで個人的に妹と二人でEDのオリガとは比べ物にならない…… などと酷評してましたよ。本当に詩は良いんだよ、最高なんだよ。曲もこの詩には最高にあってるんだよ……

 さて、実は妹が買ったんですけどね、ED「水のまどろみ」のCD。もうね、感動した。この曲があったからこそ、この記事が書けた部分も大きいです。ええ、残念ながらOPは買ってません。フルバージョンを聞いて、その詩に震えがきましたけど聞きたくないんだよ、ちょっと負けすぎてて悲しくなるから。

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 それにしても見苦しい記事ですな。直すにも既に何度も最初から書き直してるしなぁーー。ちょっと体力が続かないのでこのまま未完成だったらどうしよう!? 巨像について書きたいんだ、なんで最初はスペインというヨーロッパに転生したのかも書けるかも知れないんだ。でも東南諸島に最終的に集まった原因はあるだろうとこじつけられるんだ。

 ああ、作品に対して相応の感想と考察を書けない意味では負け組み。でも、アニマックスでまだ楽しめる自分は勝ち組でもある。けど勝ち負け関係無く、名作でしたよ。いつかアニメ夜話で語られるくらいに多くの人が見られると良いなぁ(オチは無いです)
#ファンタジックチルドレン_EX
posted by みやびあきら at 09:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 放送終了アニメ感想〜2005春 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 色々、フォローありがとうございました。
 そう言えば、最初から「水」を中心に、自然物の描写には拘ったアニメだったですね。生命の輪や、食物連鎖なども含め「ライフ・サイクル」を、死や魂の転生なども含めた、大きな自然の流れとして(その一部として)「生きる」こと、そこら辺が主題だったかと、ようやく半端ながらに理解。
 やっぱり、私は見方を間違えて見てました。
 正直、ストレートには見えて来なかったです。やっぱり見る方を選ぶアニメなので、万人向けではなかったと思いました。 
Posted by 読一 at 2005年03月30日 16:14
いやはや、及ばない身でありまして申し訳ないです。

最初は「生命球」的なミクロ化した観点からアプローチしようと思ったりもしたんですが。
確かに人々の心に根付いた宗教観、要素(日本人なら神道)と言うのは影響はあるはずなんですよ。

でもそこで宗教には走らずに「科学」学問としてのアプローチをした作品だったのではないかと感じています。

それだからこそのライフサイクルであり、きっと「生命科学」としての総合的アプローチをした作品なのだろうと。
こう考えるとベフォールズが7人の科学者であったのも肯けると思うのですよ。

ライフサイエンスであれば化け学として化学や、内面に入っていくかのような心理学。とにかく様々な学問からの総合的なものをアニメに注ぎ込んだ……

と、言うのも書きかけなのですけどね(^^;)

>やっぱり見る方を選ぶアニメなので、万人向けではなかったと思いました。 
私はそれであっても出来るだけ多くの人に見ていただきたいと。
万人に向けて発信し、その中でそれぞれ各自で判断して貰える事が重要なんだろうと思います。

鉄道や詩に象徴される人間の文明や文化に対する考察もしたいんですけど、新番組始まっちゃうし(爆)
Posted by みやびあきら at 2005年03月30日 17:01
最終話を見て、じんわり涙がでました。
また、みやびさんの考察に泣けてきてます。

話が重たくなってしまうかも・・・
と考えたのですが、
でも、感謝の気持ちが一杯なので
コメントさせて下さい。
(ここに書き込まれていることが
 不適切と思われたらお手数ですが
 削除していただけますか)

私は一年前に子供を亡くしました。
もともと重い障害があり、入院や検査ばかりの
短く辛い人生だったと思います。
私は彼女から
命の大切さや
かけがえの無い人と一緒にいることの幸福
健康を心配できることさえ
亡くしてしまった今では幸せなことなのだと
沢山のことを教わりました。
でも、彼女の人生は幸せだったのか?
と悔しい気持ちです。
それは一生抱えるものでしょうが
でもFCやこの考察にであって
どんな慰めよりも
ストンと心に入ってきたように感じています。

いつかまた。
その時には後悔しないように
一生懸命に今を生きて。

そして水は
どんなものにも形を変えて
でも、常に傍にあるもの

彼女を愛しむように
すべての限りある命を感じられたら
もっと人は笑って生きられるんでしょうね。
子どもたちのためにも
そんな世界になってほしいです。

長文失礼しました。
とめどなくなってきたので
これにて退散です^_^;

本当にありがとうございました。
Posted by おほほ at 2005年04月01日 00:00
>>おほほさん。

未完成の記事でありましたが、このままだと眠ったままになるので無理矢理公開いたしました出来の悪い記事に対してコメントいただき恐縮です。

頂いたコメントはこのままにさせて頂きますが、お返事はすみませんがもう暫くお待ち下さいませ。
私も少なからず思うところや感じることがございました。
記事とは違いお返事は拙いながらも形にしたいと思いましたので明日以降にしたいと。
Posted by みやびあきら at 2005年04月01日 05:48
 水への解釈、なるほどと思いました。
 私の場合、FCにおける水からのイメージにはもうひとつ、時の流れというものを感じているんです。だからでしょうか、トーマの身につけている耳飾が気になって仕方がありませんでした。FCにおいて象徴的ともいえる色彩をした輪飾り。私にはそれが先へ進むことの無い、過去という閉ざされた時の流れ(ヒトの想い)の循環であるように見えたのです。話の冒頭の頃からトーマは前世に何かを負っているようでした。その具体化したイメージが耳飾であるような気がしてならなかったのです。しかもそれが両耳に・・・。私はトーマがソランでありセスであった存在なのだと感じています。二人の想い(主にセス)がトーマという人格として定めきらせなっかたのだろうと思うんです。実際、狭間ではトーマの意識をおしてセスが出てきていました。未来へ生きることよりも過去に死んだ時のままで・・・。そしてソランはティナの転生が適ったかも知らずセスの手で死んでいます。崩れ落ちるソランの想いはセスに向かうものではなくティナへのものでした。新たな生を生きるティナの存在を知らないソランの想いもまた未来へ向かうものではなく、過去に置き去りになったままトーマの中で眠っていたのではないでしょうか。二人の時間はトーマとなった後も流れることなく留まったままでいたのだと・・・。あの耳飾にはそういった意味合いがあるのだと思うのです。
 ヘルガと出逢った青年の腕には文字だけではなく、時計がしてありました。ときを刻んでいく・・・。青年は、十一歳の頃に(それ以降は絵を描いていなかったのでしょう、トーマとともに未来を生きるとヘルガは決めたのだから)描いたヘルガの絵を一目見て、描き手が誰なのかを知っていました。それが答えのように思われるのです。青年の耳に飾りはありません、めぐるときの中を生きているトーマだから・・・というように私には思えてしかたないのです。
 こういう解釈って都合良過ぎるでしょうか?
Posted by ともゆき at 2005年04月01日 09:13
>>ともゆきさん。
コメントいただきまして有難うございます。

>私の場合、FCにおける水からのイメージにはもうひとつ、時の流れというものを感じているんです。
私も「時間」に関しては色々考えているのですが「時間と空間」そして「物質的な距離感」と「精神的な距離感」を関連させて考えています。
具体的に書くと長くなってしまいますので、いずれ機会がありましたら(^^;)

>トーマの身につけている耳飾が気になって仕方がありませんでした。
私の解釈を簡単に書くと、色に関しては「命」そして左右に同じものをしておりそれが「環」状なものであることから、二つの生命(魂)の循環。閉じた生命循環システムの象徴とか、そんな辺りかと。
なので過去も未来も内在した「環(わ)」リングなのだと。
これも考え出すとどのような解釈も導き出されそうですよね。

>私はトーマがソランでありセスであった存在なのだと感じています。
これに関しては丁度記事を用意中ですので(と言っても以前に述べていたことの纏め直し+補足なのですが)
やはりトーマが何で在ったのか? トーマに思い入れが強い人ほど苦しまれている気がいたしますので、大した考察にはなっておりませんが、早めに上げることが出来ればと考えております。

そして「青年」に関してもその‘像’を捉え直しておりまして、腕時計に関しても(これは作品全体の「時間」に対する概念も含めたいと思ってます)触れる予定です。

予定は未定なのですが、最終回&新番組ラッシュではありますがそれなりの着地点を当サイトなりに模索してまいります。

あまり期待をなさらずに、生暖かい目で見ていただければ幸いです(すみません勝手なことを言って)
Posted by みやびあきら at 2005年04月02日 20:43
 丁寧なご返答ありがとうございます。
 はじめて書かせていただいたコメントにもかかわらず、ご挨拶するのを忘れてしまった不作法、申し訳ありませんでした。

 見終えたばかりの時のモヤモヤとした気持ちに早く区切りをつけようとして、自分なりの答えを出すことにあせっていたように思います。
 これからも何度となくFCは繰り返し見続けていく作品だと思いますので、その時その時感じるままに作品を捉えなおし、楽しんでいこうと思います。
 FCのような奥深い作品に出会えたこと、とても嬉しく思っています。
 そしてみやびあきらさん、本当にありがとうございました。このサイトに出会っていなければ、いまだ私はモヤモヤとした気持ちを抱えたままだったでしょう。
 
 完成記事、楽しみにしていますね。それではこのへんにて失礼いたします。
Posted by ともゆき at 2005年04月03日 14:55
>>ともゆきさん。
こちらこそお返事と感想を頂きありがとうございます。

最終的な答えは己の中で出すしかないのですが(途中で他者からの示唆や助言を得たとしても)
人間、全く同感というのはありえません。でも、共感する、出来る事なら多いはずです。
時には反感を持ったりする事もあるでしょうが、一緒に何かを感じられる、沢山のものをプラス、マイナス関係なく感じられた事からも「ファンタジックチルドレン」は色々なものを発してくれていた、素晴らしい作品だと言ってよいでしょう。

私も皆さんのコメントなども含めて得たものは大きかったです。
しかし感謝の表れとしての考察や感想でもあるのですが、気持ちが大きすぎるのもそれを表現するのが難しくなる要因になりますね(^^;)

それでは、今後とも宜しくお願い致します。

Posted by みやびあきら at 2005年04月04日 16:45
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