2004年09月22日

「忘却の旋律 THE MELODY OF OBLIVION」第1話から第23話までを見て。執筆中でも時間切れ?

 この記事は未完成です。ただ最終回を控えて書ける事を書いておこうと思い立ち書き始めます。追記した場合はその旨を記させて頂きます。※9/22最終回直前追記。

 DVDを買っています。現在までに1巻2巻ともに限定版を購入し以降も限定版を予約して購入予定です。が、最終話の内容によっては購入を見合わせる事も有り得るでしょう。
 本放送は記憶が正しければここまで全て起きてリアルタイムで視聴中。妹さまもここの所は起きて自分の部屋で見ている事があります。二人で見るときには必ず意見を出し合い理解を深めようとしております。
 そんな視聴スタイルで望んでおります。

 作品全体の作りが「歌劇(オペラ)」とするのならば、第○部 第○幕 第○場と言える作品作りをしていると思われます。
 例えば、歌劇 忘却の旋律 第8部 圏外圏編 第三幕「世界を貫く矢のように」第1場『ヴィンターライゼの4号』のように表す事も出来るでしょう。

 番組を見始めた時はこれは旋律(メロディー)のみに注目をし、弦楽奏かオーケストラなどのクラシック音楽と捉えていましたが。
 ソロの過去が明かされた時にこの舞台がオペラの舞台であり、未だに上演が続いている壮大な総合芸術作品である事に気付かされました。

 ワーグナーGesamtkunstwerkと呼んだ事から総合芸術とされるオペラ(opera)ですが、忘却でもよく出てくるイタリア語での意味は「仕事」や「作品」となります。オペラは通常の演劇とは違いで物語が進行する事が主と言えましょうか。音楽の伴奏も大規模編成で、衣装も含めた舞台美術も荘厳壮麗であり、直接上演中に感じられる歌手、オーケストラ、指揮者。表には出ないですが、脚本家、演出家、舞台・芸術などの監督。とにかく多くの芸術要素や才能を融合させた上での総合芸術であると。

 それならば「忘却の旋律」は何であるのか? 私はアニメーション=総合芸術と捉え、人がそこに命を吹き込めた芸術作品こそがアニメーションであるのならば、オペラだってアニメーションと言えましょう(かなりぶっ飛んでいる事は承知)
 芸術をどう捉えるかはまた別問題ですが、高尚であろうがなかろうが、セレブ向けであろうが一般大衆向けの娯楽作品であろうが人の手による意味がそこに感じられれば芸術であるとここでは示します。

 「忘却の旋律」を大衆娯楽総合芸術作品として以下は紐解いて見たいと思います。最悪、最終回を見て挫折する可能性もありますが(記事タイトルも24話までとなるでしょうし)その際は正しく反省したいと思います。

9/22急遽追記

 すみません、話の流れを立ち切り飛んでしまいますが。
 結局ソロはモンスターはモンスター。人間は人間。自分達が人間であり、そうで無いものを人としては認識出来なかったのに。結局自分を人間のメロスの戦士からモンスター・キング・SIII世。つまり人間がモンスターになったのに逆は考えもしなかった訳ですよね、 モンスターだって人間だと。

 それに対しボッカはココの話を聞いてモンスターだって人間なんじゃないかとの考えが過っていました。ユニオンの連中から怪物と呼ばれようと人間である己を見失わなかった訳ですよね。
 この辺りに最後の解決の糸口があるように私は思えてきました。

 ええこの間丁度NHKBSで「2001年宇宙の旅」「2010」と放送をしていましたが。
 この映画の解釈の一部として過去に猿人がモノリスと接触して知恵を授かったかのような描写がございますが。解釈としては殺し合う事で進化する事を選択した。その為に道具(武器)を手にした。
 HAL9000も乗員(人間)を次々に殺して新たな存在、進化を遂げようとしたとも取れます。

 他にもよ〜く見るとモノリスのメッセージの一つに殺し合いをしてでも生き残ったものこそが次のステージ(舞台)に立つ資格を得るかのような印象を受けます。
 アメリカとソ連と言う敵対するもの同士が協力をし合って木星を目指していたのに、結果中では殺しあいの末に生き残った者が不思議な過去と未来。胎児であったり死ぬ直前の自分であったり。他にも様々な事が起こっています。
 遥かな過去に猿人が手に入れた道具は生きる為に手に入れた物ですが、同時に他者を殺す物であり。人類はその現時点での究極の道具、核兵器をも手にする事になるのですが。

 話が見えないかもしれませんが、劇的な生命体としての進化と殺し合う事は残念ながら切り離せない関係と言えます。
 忘却の世界では人が人として存在する前から彼等はこの星に存在し、人がモンスターと名付け認識しているに過ぎないと。ですから、と認識し神への供物として生贄を奉げていた事もあるし、今のようにモンスター様として恐れ敬う者やメロスの戦士として戦いを挑む者もいる訳です。

 しかし彼等も人間であるとしたらどうなるのでしょうか? 人と人が殺しあう事は否定はされますが、現実として歴史上途切れない事であります。人と人の問題であれば、人はどう考え行動していくのでしょうか? 彼等を人として人の器に入れて、その行動も生き方も定義させる事は出来ないのでしょうか?

 …そろそろ時間切れしそうで一旦書き逃げ…

 人が人を縛り、人が殺し合う事意外で競い合い高みに上る事が出来れば。緩やかな歩みや進化は、退化・衰退の速度を上回る事が出来ずに滅ぶ事になるかもしれませんが。
 それでも人が人として在り様の理想を目指す道もあってしかるべき、と。

 話が急に戻って、オペラの話。オペラにおいては観客もその作品の一部、芸術の一部であり、観客を魅了してこそ完成するものです。我々はTVの前の観客ですが「忘却の旋律」という総合芸術の一部としてこのオペラの完成・完結に参加し、どこまで行けるのか楽しみまくって、駄目なら猿人のように。善しならば…鳴り響いてみませんか?

 あ、オチない。おちない。最終回を見て忘れていた旋律を思い出せると最高だなぁ。

 ボッカがヒューマンキングになるってのもありだろうけど。相手も人として一緒のステージ(舞台)に立って、これからの事を解決していこうというのもありか。こりゃ本当に見てみないと分からないや。

TBSアニメ 忘却の旋律公式ホームページ  #忘却の旋律_EX
posted by みやびあきら at 02:11| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 放送終了アニメ感想〜2004秋頃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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